鯖ビアーン


シーフードに関する独り言


MAY/27/2000 鯖ビアーン開設
 昨年(1999年)の終わり頃、自分の大好きな鯖をウエッブ上で検索していたのですが、なかなか満足のできるページが見つかりませんでした。それなら、自分で作ってしまおうと考え、これまで食べてきた鯖寿司等をメモに書き出したりしてみたのですが、どうも情報が不正確な気がします。なんせ中学生の頃には既に鯖寿司大好きでしたから、かなり長い時間があるのです。
 そこで2000年に入ってから、改めて鯖を食べて食べて、その感想をメモしてきました。ちょうど、仕事で出張する機会も多かったので、出かけるたびに鯖寿司を探して、食べていました。ところが、そのメモというのは、全ていつも持ち歩いているペルソナ(Windows CEマシーン)に入力していたのです。3月下旬のとある日、突然ペルソナが原因不明のオールリセットがかかってしまい。これらの全てのデータが無くなってしまいました。バックアップは、半年前に取ったきりだったのです。大ショック。

 今回気を取り直して、1から再スタートしました。とても、まだまだ情報量が少ないのですが、どんどん更新していきますので、よろしくお願いします。


MAY/27/2000 醤油は必要?
 鯖寿司やばってらを買うと、ほぼ確実に醤油が付いてくる。居酒屋などでシメサバを頼んでも醤油指しが付いてくる。みなさんはシメサバに醤油を付けるのだろうか?鯖に限らず、僕は酢の物に醤油は付けない。よく何でも醤油をかけると人のことをバカにする人がいるが、そういう人でもシメサバや鯖寿司に醤油を付けて食べている人がいるようだ。思い切り生っぽい鯖のにぎり寿司には確かに少し醤油を付ける方が美味しい。しかし、酢で絞めている場合、微妙な味わいが醤油を付けたら分からなくなるような気がするのだが…。
 これも個人の嗜好なので、別にどうでもいいことだけれども。
 


JUN/3/2000 回転寿司

 最近の回転寿司は、下手な寿司屋よりも美味しい店が結構ある。特に地方に行くと地元独特の新鮮なネタがあったりして、なかなか良い。基本的に貧乏症の私にとって、会計が明瞭な点も良い。さらに最
近は、回転している寿司に灰が飛ばないようにとの配慮から、完全に禁煙を実施している店も多く、いいことだらけである。
 しかし、どうも許せないことがある。それは暖かい「しゃり」。
 流行っている店ほど作りたての暖かいしゃりに出会う可能性が高い。暖かいご飯に美味しい刺身というのはいいのだが、僕は暖かいしゃりのにぎり寿司は好きでない。勿論、冷蔵庫に入れて冷たくなった物も言語同断である。回っていないで注文を受け付けてくれる店もかなりあるが、一度暖かいものに当たるとその握り手が使っているおひつをチェックし、そのおひつから握った物が二度と回ってこないように気を使ってしまう。
 結構回転寿司屋に行くのも疲れるのだ。


JLY/1/2000 謎のアサリ

 このところ仕事で京浜急行平和島駅(都内大田区)を利用することが多い。改札を出たところには毎朝、野菜を並べて売っているおばさんがいる。自分のところで作った野菜であるかどうかは不明なのだが。実は都内には以外と駅付近の路上でこのような野菜を販売していることがあるのだ。
 ところがこの平和島駅で注目したいのは、その野菜のおばさんの横で毎朝アサリを売っているおじさんがいることだ。平べったい容器を何段か積み上げ、その中にアサリがぎっしり入っている。どれも大きめで粒ぞろい。小さなざるのようなものがあり、これ一杯が売るときの単位になっているようだ。どのアサリも大変元気がよく、近づくといくつアサリから汐を吹きかけられる。
 私はこのおじさんが客の相手をしている姿を見たことがない。しかし、お昼過ぎに行くともういない。また、いったいいくらで売っているのかも書かれていない。実に不思議な店である。一度ここでアサリを購入してみたいのだが、買ったアサリを仕事中持って歩くのも気がひける。「江戸前」と書かれたあの平べったい容器が今日も気になる。


APR/19/2001 金沢への思い

 幸せなことに私の妻も比較的食べることにお金を使うことができる人である。しかし、世にいうグルメとまでは行かない。そしてどちらかというとその嗜好は私のように魚料理には向かない。
 そんな妻が、OL時代に出張で金沢に行き、上司にご馳走になった魚料理は忘れられないくらい美味しかったと10年たった今でもいう。思い出が美化されているにしてもこんなに魚料理にこだわる妻の姿は見たことが無かったので、いったいどんなにそれが美味しいものなのか私はとても気になっていた。
 一昨年、長野に泊まりがけで遊びに行った帰りに、少し足を延ばそうと、日本海まで走り抜け、勢いついて、金沢まで行ってしまった。市内の宿で一泊。翌朝は兼六園を散歩して十分お腹をすかし、お昼ご飯にその店を訪ねることにした。しかし、妻はその店の名前を覚えていない。ただ、川に面したところに店があり、近くに橋があるとしか分からない。しかし、その執念はもの凄い。市内の地図を見て、それに該当しそうな場所を徹底的に探し始めた。こんなに食べ物に執着する妻の姿は見たことが無かった。それだけに私もどんなにおいしいものなのかと期待した。しかし、同時に10年も経てば、店の様子も味も変わってしまっていて、がっかりするのではないかと心配もした。
 しかし、妻はその店を見つけた。なるほと話に聞いていたとおりである。中の様子も10年前と変わっていないという。しかし、その店の横には新館ができていた。それでも私たちは、その昔ながらの店に入り、座敷に腰を下ろした。「適当に見繕ってもらえばいい。何を食べても美味しいはず。」と妻は言う。それでも私は女中さんの助言を仰ぎながらも自分の嗜好を出そうとした。「お刺身の盛り合わせを1人前頼んで、後は焼き魚などを頼まれては…」との奨めに「刺身だけは大好きだから、ちゃんと二人前」などといい、ずわい蟹、なども頼んだ。その他のおかずはなんだか分からなくなり、適当にとお願いしてしまった。実は、その前に女中から「今日は喉グロの焼き物なんてどうでしょう」と奨められた。ノドグロという名の魚は、静岡県の中部のスーパーで見たことがある。不格好というか、グロテスクな魚で近くにいたおばさん話では、煮魚にして食べるという。そのノドグロのことだろうか?ものは試しにとそれを一つ注文した。
 次々と料理が運ばれてきた。とにかく私は、驚いた。何を食べてもうまい。近年、お金さえ出せば、東京で何でも美味しいもの食べられる思っていた。それは、決して否定しないが、それにしてなにをたべてもこんなにうまいなんてことが都内の料理屋であるはずがないと驚いてしまった。(本当は、都内でそんな高級魚料理屋に入ったことはない貧乏な私です。)ジャガイモの煮っ転がしのようなものですら別次元の食べ物である。特に美味しかったのが例のノドグロである。白身の魚で私が知っているノドグロとは別物であった。これが、脂がのっていてめちゃくちゃうまい。本当に驚きだ。いつもはお腹いっぱいといっても95%程度でやめる私の妻も私がびっくりするほど食べまくっていた。二人でズボンのベルトを緩める、いやそれでは間に合わなくなり、ホックまで外してしまった。
 当時3歳であった娘もいたが、動けなくなるくらい食べて1万円でお釣りが来た。(車の運転のため、酒類は飲まなかった。)
 なんと素敵な店だろうか。間違ってもきれいとはいえない、古い店である。しかし、そこでの食事はなるほど妻がいうとおり最高の食事であった。

 その後は当然、近江市場に行った。私は、そのノドグロという魚を探したが、なかなか見つけることはできなかった。そこでにぎやかな店の建ち並んだ筋を外して、地元のおばさんが買い物かごをもってやってくるような店に入ったとき、ようやくそのノドグロに合うことができた。一般には、赤ムツと言われるらしい。以外と値段が高いものだ。私はしばらくの間、買って帰ろうかどうしようか迷っていたが、とうとう買わなかった。そのことが後でとても大きな後悔となり、都内でこの魚を探し歩くことになるのだ。

 この魚、実は、刺身で食べてもうまいらしい。私が金沢に行ったこの話は昨年の夏である。今年の夏にはいけなかったが、是非近いうちにまた金沢に行き、この魚を刺身で食べてみたい。そして、季節が変われば、また別のうまい魚が登場しそうだ。今度はあの店の女中何を奨めてくれるだろう。


SPT/12/2001 もちもち

 食べ物の食感を表す言葉にはいろいろあるが、最近「もちもち」という表現が多く使われるようになってきていると思う。特に若い女性の中では、まるで美味しいものの合言葉のように多用されているようだ。「もちもち」、もしくは「もっちり」というのはやわらかいが粘りのあるような、まさしくお餅のような食感を表すのだろう。確かにこの「もちもち」が美味しいものもあるだろう。でも、何でもかんでも「もちもち」で良いのだろうか?食パンの宣伝でも「もっちり」と言う表現が使われている。もっちりしたパンがあってもいいと思うし、それはそれでよいのだが、本来トーストはカリッとしているものだと私は思うだ。どうも世の中やわらかいものが流行ってしまっている。プリンもそうだ。出来合いのプリンがコンビニエンスストアーなどでたくさん売られているが、「やわらか」とか「なめらか」というのが大変多い。卵たっぷりのものをオーブンでしっかり焼いたどっしり固めのプリンを望んでいるのは私だけなのだろうか?

 さて、「もちもち」であるが、若い女性の中に刺身を食べてもこの表現をする人がいる。もちろん、もちもちした刺身もあるが、私的には「もちもち」が美味しいのはマンボウくらいだと思う。むしろ「コリコリ」や「プリプリ」が多くの新鮮で美味しい刺身であると思うのだが、皆さんはいかがだろう。


SPT/18/2001 はまち

 子供の頃と大人になってからは味覚が変わることがずいぶんある。一般には大人になると苦いもや辛いものに強くなると思う。しかし、味覚だけではなく最近は食べ物自体の味も変化している部分があるだろう。
 トマトは、もっと甘くすっぱかったと思うし、ピーマンももっと青臭かった気がする。よく川魚は臭みがあって嫌だという人が多いためか、スーパーなどで売られているものは、臭みの少ない川魚が増えてきた。しかし、ある程度の臭みは川魚らしくて私は好きだ。
 同様に最近子供の頃に感じた味に出会えない魚がある。それが「はまち」である。ここでは、「ぶり」とせず合えて一段階小さい「はまち」とした。子供のころはまちの刺身には独特の苦味を感じた。特に頭に近い部分はそれが強かった。ところが最近それを感じる「はまち」に出会わない。大人になり、苦味に強くなってしまったのかと思っていたのだが、数年前、北陸の魚料理を食べさせてくれる民宿に行った時に出てきたはまちには、その苦味があった。
 きっと鮮度とか、天然ものということは勿論、何か流通過程であの苦味を失ってしまうことが起こっているのだろう。
 ああ、またあの独特の苦味に出会いたい。


OCT/ 9/2001 回転寿司2

 回転寿司に行くと、私は実は緊張している。
 回転寿司は空いている時に行って好きなものを握りたてで食べることがもっとも理想だと思っている人が多いだろうが、私は違う。握りたての数枚の皿が回ってくるその中で、どれがもっとも美味しい部分かを判断し、確保する。これこそが回転寿司の醍醐味だと思っているからだ。だから、自分がこれだと狙った皿を先にとられてしまうと、大変悔しい。したがって、座る席には大変気を使うのだ。握り手が流しはじめるのはどこかを判断して席を選ぶ。
 一方、海苔のついたものはとにかく握りたてを食べたい。私は、最後の一皿にカニサラダや鉄火巻きを選ぶことが多い。目の前を回っていることは知っていても、あえてそれを注文する。ところが時々握ってくれずに回っていた皿をつかみ私の前に差し出す人がいる。そんな店には二度と行かない。
 同様に何周も回ってカサカサになったっているため、あえてそのネタを握ってくれと言っているのにまるで私がそのネタが回っていることを見分けられないかのように回っているいる皿を差し出す人もいる。「こんな乾いたものを食えるか!」と言えないのが私である。我慢して食べてしまうのだ。本当ははっきり言ってやったほうがいいのだろうね。


MAY/30/2003 まつぶ貝

 実は私は貝類にも目がない。寿司屋に行っても鯖と並んで必ず貝類に注目してしまう。
 貝類は、当然生きている物を売っているケースがほとんであるから、その日その日よって魚屋に並ぶ種類や値段も違うので要チェック項目なのだ。
 
 昨日、近所のスーパーでまつぶ貝を売っていた。当然生きており、かなり大きい。おそらく中学生の頃だと思うのだが、ずいぶんこの貝の刺身には凝っていた。しかしだいたい、きれいに殻からはずされたもを買ってきていた。殻付きのものというと小さめのものがよく和食の箸休めのように殻ごと薄甘く醤油で似たものをよく見かける。これを爪楊枝でほじって食べるのも悪くない。

 大きくて生きたまつぶ貝。2個300円迷わず買ってしまった。家にもどりしばらく落ち着いてから、サザエのように殻から十分身がはみだしたところを殻の内側付近を狙って小さなフォークを突き刺し、中身を出そうとした。手応えは確かであり、予定では簡単に身が取り出せるはずだった。しかし、サザエよりも柔っぽいからのくせに、このまつぶ貝はものすごく力が強く、なかなか身を出すことができないのだ。力をかけすぎると身がちぎれてしまうかと心配したが、むしろ殻の方が壊れ始めてしまった。しかし、なおも身を引き出すことができない。とりあえず、運が悪かったのだと思いこみ、もう一つの貝にアタックした。しかし、結果は同じ。どうしても引き出せない。さんざん格闘した。ついに私は貝を流しに叩きつけラッコのように貝殻を割って中身を出すという力業を行使した。「どうだ、ざまあみろ!」と、めでたくまつぶ貝は刺身になったが、なんだかとても貝に負けたような気がして後味が悪い。

 実は私の妻は私より背が高い。そんな妻がよく私のようなチビを選んだ物だと思っていたが、彼女は意外と小柄な男が好き出ることがわかった。大きく力持ちの男は、力ずくで事態を解決しようとする。しかし、チビは、それができないから、様々な工夫をして事態を解決する。妻は後者の方を好むというのだ。しかし、今回私がとった解決策は、まさに力ずく。なんだかとっても情けなくなってしまうのだ。
 貝自体はいままでに食べたまつぶ貝のなかで一番美味しかった。再びこの貝にであった時のために、インターネット上でまつぶ貝のおろし方を探しているが、未だに見つけらないでいる。


MAY/31/2003 鯖寿司の評価風景

 他人の作った鯖寿司に勝手な評価をしているが、これらの評価はどのようなスチエーションで行っているかをご紹介しよう。
 
 まず、評価を行っている場所(そんなに、大げさなことではないのだが…)であるが、ほとんど自宅か、新幹線車内である。新幹線で移動することが多い私は、買った鯖寿司を直ぐに車内で食べてしまうのだ。以前、京都で4つくらいの鯖寿司を買い込み、その内、3つを立て続けに車内で食べてしまった。隣に座っていた人は目を丸くして私を見ていた。なにせ、食べる前にはいちいち写真をとり、食べた後はなにやら文章を書いているのがとても怪しい。これは例え1つの鯖寿司でも怪しい行動である。
 私はたいていデジカメとノートパソコンを持っているので、感想も食べた直後に書いてしまうのだ。最近は、だんだん自分が既に評価したことのあるものを初めて食べるものと思いこみ、また評価を書いてしまうことも時々ある。いよいよ自分の評価のページをプリントアウトして持ち歩かなくてはならなくなってきた。ダブって評価してしまった感想等を見比べるとあまり大きく違いがないので安心する。

 つぎに私流の鯖寿司の食べ方を紹介する。これは私に自然に身についたことである。
 1.鯖寿司全体をよく見る。このとき鯖の腹を手前にする。
 2.ガリが袋などに入っている場合は、それを出して、しっぽ側に置く。
 3.一口お茶を飲む
 4.頭を左に向ける。
 5.まず、一番頭側の切り身を食べる。
 6.腹の付近の最も脂がのっていそうな切り身をとり、その断面を注意深く観察し、食べる。
 7.腹の付近の2番目に脂がのっていそうな切り身をとり、しめさばと斜里に分解する。そしてはじめに、しめさばの上に載っている昆布だけを食べる。続いてしめさばだけを食べる。最後にしゃりのみを食べる。
 8.ひたすら頭側から尾の方に向かって食べまくる。
 
 特別意味のあることではないが、この動作の繰り返しが鯖寿司の評価のページになっているのです。
 そうそう、飲み物はあくまでも日本茶(緑茶)。酒類を飲みながら鯖寿司を評価することはありません。ビールなどを飲むとたくさん食べられなくなりますから。


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